小雨が残る朝
朝起きると、昨日の雨がまだ残っている。ポツリポツリといった感じの小雨ではあるが、夜中ずっと降っていたのだろう。道路がかなり濡れている。
朝食を終えて6時40分頃に外に出て見ると、雨はやんでいた。雨雲が空を覆って薄暗いが、いつもの習慣なので外を少し散歩する。青空はないが、西の空に暗い雲の切れ間が少し見えてきた。今日はこれから天気はよくなっていくようだ。
しびれ池のカモと井伏鱒二
ここからは昨日のブログの「しびれ池のカモ」の話の続き。
この話は小学校の5年生くらいの時に、岩波少年文庫というシリーズで詠んだ。井伏鱒二が児童文学として書いたものである。どんな話か、あらすじを簡単にまとめてみたので紹介する。
冬になるとカモが集まるしびれ池の湖畔の村に住む医者の戸田老先生は、カモの剝製作りの名人である。ところが先生が作った失敗作の剥製のカモが、ふとしたことから、剥製を買いにやって来たサーカス団の団長の手によって池に浮かべられてしまう。池を漂う剥製のカモは、池に棲むカモたちの人気者となってしまい、カモたちは、岸辺から動かなくなったり、後ろ向きに泳いだりして、すべての動きを真似するようになる。池のカモが全滅するのを心配した先生や弟子の三五郎少年たちは何とかして池のカモを守ろうと知恵を絞って手を尽くす。
井伏鱒二の小説は、細部の描写や話の展開に味わいがあるので、あらすじを書いてもなかなか伝わりにくいが、当時、読んでたいへんおもしろかったことを覚えている。昨日本棚から引っ張り出してさっと再読してみたが、人物の描き方がすばらしく、子どもの読み物だが大人が読んでもおもしろい。話の中で、剥製のカモに何の疑いも持たずについて行くカモたちという構図は、戦時中の日本社会を戯画化している。今読めば明らかに分かるが、当時は気づかずに読んでいた。
それから井伏鱒二はドリトル先生シリーズを全巻翻訳したことでも知られている。こちらは小学校低学年で読んだ。名訳で、「これはしたり」などという言い回しや「オシツオサレツ」という架空の動物の名前など、今でも覚えている。「これはしたり」など、小さい子どもに分かる語彙ではないのだが、語感として十分伝わるのである。
井伏鱒二がこの翻訳を行ったのは戦時中である。「しびれ池のカモ」が書かれたのは戦後の1948年だが、話の中に登場するカモの言葉が分かる弁三じいさんは、ドリトル先生の世界を感じさせる。