小川洋子『ことり』
今日は読書の話題です。
最近読んだ本の中から今日は1冊。小川洋子の『ことり』。
小川洋子は1962年生まれということで、私とほぼ同年代の作家だ。過去には『博士の愛した数式』を読んだが、それ以来なので2冊目になる。この本を買ったのは、2年前に定年になり休みに外を歩くようになって、野鳥の名前を覚えたり写真を撮ってブログに載せたりするようになったことから、本屋でこの題名が目についたというたわいもない理由だ。
それでは感想を。
まず、次のような文から始まる書き出しが心をとらえた。
小鳥の小父さんが死んだ時、遺体と遺品はそういう場合の決まりに則って手際よく処理された。つまり、死後幾日か経って発見された身寄りのない人の場合、ということだ。
一読して、「小鳥の小父さん」が主人公だということが分かるが、この小説は、主人公の最期の場面から始まっている。しかも孤独死という、一般的には幸せな人生とはいえない最期である。普通は主人公が死ぬと物語は終わる。読みながら、主人公の人生がどう展開していくのかワクワクしながらページをめくるというタイプの小説なら、これはあり得ない書き出しだろうが、この小説に関してはそうではない。地位や名誉、財産を手に入れ、家族や多くのよき友人たちに囲まれて一生を送るという、「勝ち組」としての生き方が幸福だという人生観とはまったく異なる生き方が、この小説では描かれている。したがって、この書き出しはこの小説の世界を規定しているように思える。(読み終えた後、またこの冒頭の数ページは読者の心をとらえる。)
主人公の「小鳥の小父さん」は、鳥を愛する七歳年上の兄の影響で自分も鳥を好きになり、両親が亡くなった後、社会に適合できない兄を養いながら二人で生活する。兄は小鳥の声を聞き分けられ、自分だけの言葉を話すが人間の言葉を話せない。世間とほとんど関わることのない奇妙な共同生活だが、幸福な生活である。
兄が死ぬが、幼稚園の鳥小屋の掃除が小父さんの生活の中心となり、兄がいなくなった心の空白を埋めてくれる。小父さんを受け入れてくれる幼稚園の園長、それから小父さんが好意を抱く図書館の女性司書との交流が描かれるが、それらの人々も小父さんの周りから去っていく。時の流れとともに小父さんは老いていき、周囲の世界とのずれが大きくなっていく。少女にいたずらする不審者と疑われ、幼稚園の鳥小屋の掃除の仕事も奪われる。しかし小父さんの心のありようは変わることがない。
私はこの小説を通勤の電車の中で少しずつ読み進めたのだが、読んでいて、とても心が落ち着く小説だった。読み終えることなく、ずっと物語の世界の中に入っていたい小説と言ってもいい。読書によって新たな世界へと心が飛躍し、強く揺り動かされるといった話ではなく、日常生活の中で失われた、人間の本来の心を思い出させてくれ、幸福とは何かを考えさせてくれる、そんな話だった。
(読書の回は写真が少ないので、この話にも出てくる、私が撮った下手くそな小鳥の写真をはさみました。)