ナラネコ日記

私ナラネコが訪ねた場所のことや日々の雑感、好きな本のこと、そして猫のことを書き綴っていきます。

私の読書 ~ 最近読んだ本 2024年 其の四

門井慶喜『銀河鉄道の父』

 今日は読書の話題です。最近読んだ本2冊について。

 1冊目は、門井慶喜の『銀河鉄道の父』。7年前の直木賞受賞作で、去年映画にもなった。映画を先に観るのは好きでないので、まだ観ていない。門井慶喜の作品を読むのは初めてだった。

 この小説は、宮沢賢治の生涯を、その父政次郎の目を通して描いた作品だ。宮沢賢治といえば詩人、童話作家として異才を発揮した人物。私も子どもの頃に童話集を読み、学生時代に、文学部の演習の授業で、『春の修羅』の中の詩の解釈をやった記憶がある。その時の印象は、ローマ字や擬音、波形にうねった字下げなどを駆使した不思議な詩ということだった。こんな詩は「変な奴」にしか書けないと思った。「変な奴=いかれた奴=天才」なのは言うまでもない。

 宮沢賢治ほどの人物になると、評伝も書かれているはずだが、小説という形で違った角度から表現するための工夫が、親子関係という視点だったのだろう。したがって求道者であり天才的な文学者であるという姿は前面に出さず、純粋ではあるが、気まぐれで、好き放題にふるまって親に迷惑をかける困った息子として描いている。

 さて、読んだ感想だが、たいへんおもしろく、しかも心を揺り動かされた。まず文章が読みやすく、心地よく読み進んでいくことができる。たとえば会話文。句点で文が終わった後ではなく、読点の後にすぐ会話文が続いていくという書き方がいいリズムを作っている。また描写もうまい。明治時代の東北の話なので、生活や風俗も現代とは違った部分が多いはずだが、場面がすっと頭に入ってくるし、賢治の妹のトシをはじめとした登場人物も、個性が浮かび上がるように描かれている。

 賢治の評伝で父について多くを割いたものはないだろうから、この作品の父の思いは作者の創作ということになる。長男に生まれながらも、家業を継ごうとせず、奇矯な行動を繰り返し、平気で親に金を無心する賢治。そして最後には親より先に死んでしまう。考えて見ればこれほど親不孝な息子はないのだが、そんな息子に振り回されながらも、ずっと愛情を注ぎ続ける。一言でいえば底なしの親バカだ。そんな父の姿をユーモアのある文体で、感動を与えつつ描き切った、上質の読み物だった。

門井慶喜『銀河鉄道の父』

西條奈加『心淋し川』

 2冊目は西條奈加の『心淋し川』。小説を読むのに、乗り物などでさっと取り出して読みやすいという理由でたいてい文庫本を買うが、この本は、ブックオフで本を探していて、単行本の棚にお勧め本として表紙が見えるように立ててあったのを、心惹かれてさっと買った。こんな感じで買った本は「当たり」が多いのだが、この作品もそうだった。

 江戸時代の千駄木町にある心町(うらまち)を舞台にした連作短編集で、いわゆる時代物の人情味あふれる話が六編。どれもたいへんこまやかに人の心が描かれ、しみじみとした情緒にあふれた作品だ。六編あると、いまいちという作品があったりするのだが、外れはない。初めて読んだ作家だが、おそらく量産型の人ではないだろうという気がした。

 最初の「心淋し川」は冒頭の作品でもあり、人情話の王道的な展開。それが二番目の「閨仏」でちょっととぼけた味わいがある話になり、三番目の「はじめましょ」は男女と親子の情愛をしっとりと描いた話。そのあたりの連作短編集としての構成もうまい。人の情といっても、その中身も千差万別だ。「冬虫夏草」の吉のような、はたから見ると理解できないような子に対する母の愛もある。それが一つ一つの話の微妙な色合いの違いとなって、読んでいて飽きることがない。

 いちばんよかったのが、最後の「灰の男」。というより、この作品を最後に持ってきた構成の妙に感心した。最後の作品らしく、それまでの五編に登場した人物が少しずつ顔を出す。そして差配の茂十と物乞いの楡爺。茂十はどの話にも顔を出し、楡爺もどこか気になる人物として登場しているのだが、最後にこういう展開になるとは思わなかった。しかも後で読み返すと、「閨仏」で、最終話の伏線となるような会話が描かれている。「心淋し川」の作品は一編ずつ雑誌に掲載されたのだが、さすがにこれは単行本にするとき加筆されたのかなと思った。どちらにせよ、それだけ一編一編丁寧に仕上げられた作品だということだろう。 

西條奈加『心淋し川』