大山淳子『あずかりやさん~桐島くんの青春』
今日は読書の話題。
前に読んだ『あずかりやさん』の続編を買って読んでみた。前作と同様に、普通のブックカバーの上に、オリジナルのブックカバーが付いている。内容は短編が4作品。どれもおもしろかった。
それでは読んだ感想。4編全部書くと長くなるので、「青い鉛筆」「海を見に行く」の2編について。
「青い鉛筆」は、小学校4年生の少女が語り手だ。「わたし」には知的障害をもつ弟がおり、学校では由梨絵というクラスの女王的な存在の女子のグループにいる。そこに織田パトリシアという目立つ転校生がやってくる。「わたし」は由梨絵におもねるように、織田の筆箱からきれいな青鉛筆をとって差し出すが由梨絵は受け取らず、返しそびれた「わたし」は鉛筆を盗ったままになってしまう。思い悩みながら商店街を歩いている時に目についたのが、「あずかりや」。そこで「わたし」は青鉛筆を店にあずけることを思いつく。
ざっとこんな始まり。読みやすい文章で、すっと話の中に入っていけるのは前作と同じだ。この後、「わたし」は罪悪感に駆られ、織田に鉛筆を盗ったことを告げる。そして2人で「あずかりや」に出向いて、といった具合に話は展開していくのだが、ちょっとしたどんでん返しもあって読者を飽きさせない。
それから、話は20年後の「わたし」の物語になる。ここでも前半部の小学生時代のできごとが伏線となって話が進んでいく。さらりと書いているようだが感動を与えてくれる話だった。
「海を見に行く」では、「あずかりや」の若い店主である桐島くんの高校時代が語られる。
「ぼく(桐島くん)」は視覚障害者の学校に通っている。成績優秀で、大学受験を控え、教師から学校推薦ではなく一般受験を勧められる。そんな時、石永という女子の転校生のサポート役を任される。石永はまだわずかに視力があるがやがて失うことが分かっている。その不安もあってか「ぼく」の神経を逆なでするような態度をとる。そんなある日、「ぼく」は、視力をなくしてしまう前に海を見たいという石永を連れて、鎌倉まで電車で出かける。
この話の中では、「ぼく」が幼い頃、事故で視力を失ったいきさつが語られる。だが、作者はそこに大きくページを割くことはしない。そこに「ぼく」を悲劇の主人公として描かないという意図が感じられた。
最後に「ぼく」は大学に進まず、家に戻ることを決意する。そのきっかけとなった音楽が「トロイメライ」。「あずかりや」のオルゴールのメロディだ。前の作品の世界が次の作品につながっていくところもいい。
佐藤正午『月の満ち欠け』
『月の満ち欠け』は7年前の直木賞受賞作。ちょっと気になっていた作品だ。佐藤正午の作品を読むのは初めてで、ブックオフで見かけたので、買ってみた。
奇妙な小説だ。通勤の電車の中で少しずつ読み始めたが、なかなか話の中に入っていけない。時間をかけ、構成を練り上げて書かれた小説だということは分かるが、しっくりと来ないまま読み終えてしまった。直木賞作品だが、純文学のような雰囲気もあり実験的な作品という印象だった。
交通事故で15年前に妻と娘を亡くした小山内という人物が、東京駅近くのホテルのカフェである母娘と会うところから話が始まる。この場面を軸にして、そこから話は過去にさかのぼっていく。簡単に言えば「生まれ変わり」の話だ。
小山内の娘の瑠璃の前世は正木竜之介という男の妻で、三角哲彦という大学生と関係を持つのだが、電車事故で死んでしまう。その後、小山内の娘として生まれ変わり、死んだ後も2回転生を繰り返し、小沼希美、さらに緑坂るりとして生きるが、ずっと三角のことが忘れられず、再会しようとする。一方で三角は瑠璃が生まれ変わるたびに年を重ねていく。
時系列にしたがって話が進んでいかず、登場人物の関係も複雑に絡み合っているため、各場面が物語の全体像にうまく結びついてくれない。そのため、話がストレートに心に響いてこなかった。また、瑠璃という女性が三角という男にそこまで執着するという点が、読んでいてピンとこなかった。
私は東野圭吾の作品の中で、代表作の一つである『秘密』という作品がちょっと肌に合わない。『月の満ち欠け』は、描き方は違うのだが少し似た感じがあった。
作風に関しては、文章は読みやすいが、描写の力点の置き方が独特だという感じがした。再読すると印象が変わる作品という気がするので、寝かせておいて、気が向いたらまた読んでみようと思った。