動物園で変わらないもの
一昨日、昨日の続き。
二十年ぶりの天王寺動物園で、動物たちはすっかり入れ替わってしまったが、変わっていないものがあった。下の写真のチンパンジー像だ。これは昔子どもを連れて来園したときから結構印象に残っていた像で、家に写真も残っている。何やらいわれのありそうな像なのだが、横に「戦争に利用されたチンパンジー~リタとロイド」という来歴を書いたプレートがあった。要約すると次のようになる。
昭和7年に入園したリタは非常に頭がよく、とても芸達者だったので動物園の人気者となり、入場者数増に貢献した。ところが戦時中、リタは夫のロイドとともに軍服を着せられ「お国のために」と戦意高揚に利用された。リタはロイドとの間に子どもを身ごもったが、戦時下の栄養不足から昭和15年に死産し自らも翌日に亡くなった。この像はその時、リタの死を悼んで建てられたものである。
なるほど、古びた像がずっとそのまま残されていたのはそういったいわれがあったのかと、ちょっと感動したのだった。
新世界に
動物園をひととおり回った後、新世界に寄った。動物園の正門を出て道一つ隔てた場所がいわゆる新世界と呼ばれる場所である。新世界の中でもとりわけにぎやかなのがジャンジャン横丁と呼ばれる通りで、名物の串カツ屋などの庶民的な店が立ち並び、その先に大阪下町の象徴である通天閣がそびえている。この日は、平日の昼前であったため、まだ人出は多くなかった。
昭和の香り漂う場所であるが、近年は観光地化され、女子学生がスマホで記念撮影などやっていて、昔のあやしげな雰囲気は随分薄れてきた。私の学生時代の頃は、危険な影が潜む大阪のディープな雰囲気がもっと味わえる場所だったのだが、時代の変化で仕方のないことだろう。
西成方面に
新世界を動物園と反対側に出ると堺筋。それを少し南に行くと新今宮の駅があり、駅を過ぎて大通りから少し入ったところが西成のいわゆるあいりん地区と呼ばれる地域だ。このあたりの正式な地名は萩之茶屋という、なかなかしゃれた名前である。天王寺方面に来た時は、このあたりも寄って行く。ネットなどでは、このあたりの治安の悪さなどが誇張して伝えられるが、昼間に歩く分にはそんなことはない。その土地にはその土地の人々の生活がある。ただ、さすがにポケットからカメラを出して通りの写真をカシャカシャ気軽に撮るなどということはできない。(理由はあえて書かないが)。今日は、心なしか以前より人の姿が減っているように見えた。
あいりん地区から大通りに戻り、西に向かって歩く。新今宮駅を過ぎ、花園北の交差点は歩道がないので陸橋を渡る。落書きが派手に書かれている。こういう場所の落書きは意味不明なのだが何となく形が似ているのはなぜだろうか。
※明日に続きます