奥田英明『空中ブランコ』
今日は今年最後の読書の話題。最近読んだ2冊の本の感想を。
まずは奥田英朗の『空中ブランコ』。
20年ほど前の直木賞受賞作。題名は知っていて、ブックオフで目にとまったので買った。初めて読む作家で予備知識はまったくない。
目次を見て短編集であることを知り、最初の「空中ブランコ」を読み始めて、ドタバタ調のユーモア小説であることを知った。私は昔から笑いの文学は好きで、子どもの頃から、夏目漱石の初期の作品や北杜夫の独特のユーモアのあるエッセイや小説、筒井康隆の作品など、好きでよく読んでいた。
『空中ブランコ』の各短編は、ドタバタ調だが、筒井康隆の初期の作品のような破壊的な乾いた笑いではない。それぞれに深刻な悩みを抱えた登場人物たちに、ぶっ飛んだキャラを持つ精神科医伊良部が絡んで、患者は振り回されるが、話は最後にそれなりのところに着地する。どの話もしっかりと練り上げられており、テンポもよく、おもしろく読むことができた。ただ、個人的に主人公の伊良部があまり好きになれないというのがマイナスで、これは好みの問題だ。
五つの短編の中から、特によかった作品を二つ選ぶと、「義父のヅラ」と「女流作家」。前者は、最後のカツラをはがすところのあまりのバカバカしさに、電車の中で読んでいてちょっと声を出して笑いそうになった。後者は女流作家の心理の描き方が、いかにもという感じで秀逸だった。
荻原浩『明日の記憶』
荻原浩の作品は、短編集の『海の見える理髪店』を読んで、長編も1冊読んでみたくなった。ということで買ったのがこの『明日の記憶』。
この小説は、若年性アルツハイマーと診断された男性が主人公だ。一気に読んだ。小説の世界の中に入り込んで、ページをめくる手がとまらないという意味では、最近読んだ中でいちばんだっただろう。
この小説の主人公である佐伯は50歳。私はもう60を超えているが、年齢が進むと物忘れが多くなるというのは誰でも経験することだ。だが、それがアルツハイマーとなると、話は深刻だ。佐伯は一人娘の結婚を控え、営業部長として多忙な仕事を抱える中で物忘れが多くなり、鬱病かと思い受診した精神科の病院で、思いもかけない診断を受ける。
アルツハイマーである自分のことを、最初認められない佐伯のもがきから始まり、自分の症状を受け入れざるを得なくなり。職場に病状の進行を隠して仕事をしようとする様子、そして病状が次第に進行していく中での心の葛藤や、周囲の人々との関係が、リアルに状況を伝えながらも重くなりすぎない絶妙な筆致で語られていく。私は中盤あたりまで読んだところで、自分にも起こりそうな気がして、「アルツハイマーと加齢による物忘れの違い」などという記事をネットで検索してしまったのだが、読者をそんな気持ちにさせるような、ある意味怖い小説だ。
一つ一つ上げていけばきりがないが、たとえば佐伯の備忘録の言葉が次第に変化していくところなど、細部に至るまで表現上の工夫がなされている。かなり入念にこの病気について調べ、それを小説という形でどう表現していくか考えた上で書かれたものだろう。アルツハイマーの当人の一人称で書かれているので、病状が進行した時の実際の意識の流れはもっと混沌としたものになっているはずだが、それをリアルなものに感じさせてくれる小説だ。読みながら、最後をどう締めくくるのかと思っていたが、哀しくも美しいラストだった。