ナラネコ日記

私ナラネコが訪ねた場所のことや日々の雑感、好きな本のこと、そして猫のことを書き綴っていきます。

青春18きっぷ日帰り旅2023 ~ 二見浦編 ②

田丸城跡

 昨日の続きです。

 田丸城跡を、玉城中学校の敷地を左手に見ながら歩いて行くと、古い門が残っている場所がある。これは富士見門といい、江戸中期に作られたものだという。

富士見門

 そこからさらに進むと、玉城中学校の正門が見える。土曜日だが部活動で登校している生徒もいる様子。そこから道は少し登り坂になり、石垣が現れる。この先に本丸跡があるという道標があり城の中心部に入ったことが分かる。

石垣

 本丸跡は下の写真のように草がきれいに刈り込まれている。高い場所なので周囲の風景がきれいに見渡せた。さらに石垣が積まれている箇所があり、そこが天守閣跡だ。

本丸跡

 天守閣跡まで歩くと、石垣が積まれた中に、ぽっかりと十数メートル四方の空間があり、そこに天守閣が立っていたらしい。

 本丸跡の横には二の丸跡があり、武将の絵に「田丸城主織田信雄」と記された幟が立っていた。信雄は信長の次男だ。この地に拠点を持っていたのは5年くらいの間で、江戸時代の大半は紀伊徳川家の家老である久野氏が城主であったようだ。

天守閣跡

 本丸から見て二の丸の反対側が北の丸跡で、そこは城山稲荷社という神社になっている。赤い鳥居が重なるように建ち並んでいた。

城山稲荷社

 田丸城跡を出て北側にあるのが田丸神社で、そこにも少し立ち寄ってきた。横になでると願いが成就するという「なで牛」があったので、特に大きな願いはないのだが、なでてきた。

田丸神社

 JRの発車まで時間があったので、帰りに田丸城跡の大手門を過ぎたところにあった村山龍平記念館という施設に寄ってきた。村山龍平は玉城町出身で、朝日新聞創設に関わったという地元の偉人だ。今の高校野球の前身である全国中等学校野球大会の第1回での始球式を羽織袴で行っている結構有名な写真があるが、あの人だ。

村山龍平の像

 施設は、村山龍平関係の展示だけでなく、玉城町の郷土資料館兼図書館であり、2階の資料館では郷土の歴史に関する展示もあり、入場無料の資料館としてはなかなかのものだった。

資料館の展示室

二見浦へ

 列車の時間が迫ってきたのでまた田丸駅に戻った。ここから伊勢市行きの列車に乗り、鳥羽行きに乗り換え二見浦で降りる。ちなみに二見浦は、地名としては「ふたみがうら」と読むが、JRの駅名は「ふたみのうら」である。この駅も無人駅で、前の車両から降り、乗務員が切符を確認する。

二見浦駅

 駅から夫婦岩表参道と言う通りが海に向かって真っすぐに伸びている。その道を5分ほど歩くと、参道は海沿いに左右に伸びる通りになる。道が交わる脇に小さな稲荷神社があり、鳥居がやけに赤赤としていた。

赤々とした鳥居

 通りを進むと、左に海岸に通じる道があったので、海辺に出てみた。二見浦を示す標識があり、横には西行の歌碑が立っている。

二見浦

 海沿いの遊歩道を歩いてみた。ここから夫婦岩のある神社まで、10分くらい歩くことになる。人が少なくがらんとした感じだ。昼頃で気温は上がっていたが、海からの潮風が心地よい。

二見浦の海岸

☆明日に続く。