村上春樹の文体
今日は読書の話題で、村上春樹の2回目。
村上春樹の代表作を一つ上げるならどの作品だろうか。いちばん売れた小説となれば『ノルウェイの森』だろうし、文学的な評価となれば、『ねじまき鳥クロニクル』あたりだろうか。ただ、個人的な好みで言うと、私は村上春樹の作品は初期のものの方が好きだ。理由は単純で、文体が『ダンス・ダンス・ダンス』あたりから変わっていったように思え、初期の作品の文体の方が好きだからだ。(『ダンス・ダンス・ダンス』が出版されたとき、読んで「あれ?こんな文体だったっけ」と感じた)。
数年前会見で、『ノルウェイの森』まで原稿は手書きで、『ダンス・ダンス・ダンス』からワープロに変わったとご本人が述べておられたようだが、なるほどと思ったことを覚えている。
1973年のピンボール
個人的にいちばん好きな作品を一つと言われたら、『1973年のピンボール』を上げたい。これは『風の歌を聴け』に続く2作目の長編だが、作者自身、初期の2作品は「自身が未熟な時代の作品」として、当初英訳版の出版も許可していなかったという。物語としての完成度からすれば、代表作と呼べるものではないだろうが、私がいちばん何回も読み返したのはこの作品だ。
この小説は、「僕」の物語と友人の「鼠」の物語が章を変えて交互に語られるという形式をとっており、この形はその後の作品にも用いられている。どこが好きかといわれても具体的に答えられないのだが、「文体」と「作品のもつ空気感」とでも言おうか、それがいちばん自分にしっくりとくる。
私は気に入った本は何回も読み、本をきれいなまま残しておく趣味もないので、ひどく汚れてしまう。この本は文庫で買って、電車の中や寝る前の布団の中で読み尽くしたので、カバーもとれてボロボロになっている。ぱっとページを開いて気に入った箇所を読むのである。「僕」がプラットフォームを縦断する犬に会うために直子の故郷の街を訪れる場面。ジェイと「鼠」との会話、手のひらを潰された猫、「理由もない悪意」。「僕」と3フィリッパーのスペースシップとの再会。「僕」と双子との別れ、「何もかもがすきとおってしまいそうなほどの十一月の静かな日曜日」。等々、これら以外にも記憶に残る文や場面が数えきれないほどある。
初期の短編
短編も、好きな作品は初期のものに多い。作品名を上げると、「蛍・納屋を焼く・その他の短編」の中の『納屋を焼く』。「中国行きのスロウ・ボート」の中の『午後の最後の芝生』等々多数。
ところで、このブログを書きながら思ったのだが、私が『1973年のピンボール』を含めた初期の作品が好きなのは、これらの作品に出会ったのが20代前半であって、その年齢の自分の感性にうまく合ったからではないかということだ。今の年齢で読んでいたら同じ感想を抱いたかどうかは分からない。人間と同じで、本も出会うのにいちばんいい時期があるのかもしれない。
下の写真は、一昨日の朝の散歩中に撮ったサギの集団。サギは日本中どこでもこれくらいいるのか、私の家の近所に数が多いのか。