夏の陽気に
今日は天気がよく、気温も28℃くらいまで上がるという。初夏というより、もう夏の陽気だ。昨日に引き続いて遠出したくなり、今日は南の方へ。五條から西吉野を抜けて、十津川の谷瀬の吊り橋のあたりまで行くことを目標に家を出た。五條までは1週間前と同じルートで、吉野川には鯉のぼりがひるがえっている。
賀名生の里
国道168号線はカーブが多く、ところどころにトンネルもある。連休中とあってツーリングのグループをよく見かける。大・中型バイクかロードバイクで、50㏄バイクで走っているのは私だけだ。「賀名生の里」という標識が見えたので、休憩も兼ねて立ち寄った。
「賀名生」を「あのう」と読むのは、奈良県の難読地名の中でも最上位の方だ。梅林でも有名で、3年ほど前の春、家の者と梅を見に来たことがあるが、この季節は初めてだ。歴史民俗資料館があったのだ入ってみた。
こぢんまりしているが落ち着いた雰囲気のいい資料館だった。賀名生の地は、南北朝時代に南朝の首都となっていた、由緒ある場所だ。歴史的な資料や西吉野の生活に関する資料などが展示してあったが撮影はNGだったので写真はなし。それから、南北朝時代の賀名生に関する映像資料がとてもよかった、「賀名生行宮物語り」という電子紙芝居のようなものだが、南北朝時代の歴史の動きがよく伝わってきた。
資料館の外の建物には五月人形が飾られていた。ちなみに梅の季節には、雛人形が飾られている。
資料館から少し上ったところに、北畠親房の墓があるというので、行ってみた。北畠親房といえば「神皇正統記」を書いた人で、入試ではそれだけを暗記したりするが、南朝方の重要人物である。下の写真のように、横にりっぱな石碑があり、石の鳥居の奥の大きな塚に墓石が立っている。
親房の墓の近くに門の跡があり、ここはかつて五條高校の賀名生分校があった場所。こんなところと思うが、20年ほど前までは校舎があったらしいので、そんな大昔の話でもない。
皇居跡もあったが、リノベーションして中がレストランになっているようだったので、外から写真だけ撮るだけにした。
天誅組本陣遺跡
賀名生を出てずっと走って行くと、道の駅吉野路大塔が見える。ここはちょうどいい休憩地点にあるのか、人でいっぱいだった。目立つ外観で、すぐ奥にコスミックパーク星のくにという施設もある。ただ、私はこんな山の中まで来て人が多いのはうんざりなので、近くにある天誅組本陣遺跡というところに向かった。天誅組とは、幕末に結成された尊王攘夷派の武装集団で、活動時期は短い。このあたりはその発祥の地だ。
本陣遺跡では、ご夫婦がベンチに座ってくつろいでおられるだけで後は私だけだった。初めての場所というのはいいものだ。
ここから十津川の谷瀬の吊り橋まではまだ20㎞ほどあるので、無理せずここで帰路についた。帰りは柿博物館の方を回って帰った。