公園にあった立て看板
昨日の話題から続く。
3月に、かなり弱っていたように見えた猫が4月、5月になっても生き延びている。過酷な環境の中に生きている野良猫としては珍しく思えた。公園の中を散策していると、立て看板に次のような紙が貼ってあった。
どうやらこの公園では、ボランティアの方々が野良猫の繁殖を抑えて適正な環境で生存できるように取り組みをしているらしい。そう思って見ていると、公園のところどころに猫が雨露をしのげるような小屋とキャットフードを入れるプラスチックの皿が置かれていた。
「地域猫活動」の行く先
あの弱っていた猫が生き延びているのも、そういった取り組みの成果だろう。ただ、その取り組みの先に見えてくるものは、猫の楽園のような場所ではない。
今、「地域猫」という言葉がある。これはwikipediaによると「特定の飼い主がいないものの、地域住民の認知と合意の上で共同管理されている猫」のことを指す。そして地域、ボランティア、行政が協力して不妊手術による数の管理を行い、猫がその地域で一生を終えられるようにするのが「地域猫活動」である。
「地域猫活動」とは、地域の中で猫と人間との共生を目指す活動だが、徹底した不妊手術による数の管理が行き着く先は、「飼い主のいない猫」の消滅である。「地域猫」が人間に守られつつも自由に生きる世界はその過渡的な状況に過ぎない。
野良猫のいない世界
すべての猫が飼い主に恵まれた幸福な一生を送り、過酷な環境で生きる野良猫の数がゼロになる。これは一見素晴らしいことのように思える。犬を引き合いに出すと、私の子どもの頃は野良犬が近所を平気でうろついていたが、今、街中で野良犬を見かけることはまずない。
しかし犬と同じように街の中から野良猫の姿が消えてしまうのはどうだろうか。糞害などで困っている家の方には申し訳ないが、野良猫が屋根の上から下を眺めているといった情景がわれわれの周囲から消えてしまうのは少し寂しい気がする。
今日の1枚
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