ナラネコ日記

私ナラネコが訪ねた場所のことや日々の雑感、好きな本のこと、そして猫のことを書き綴っていきます。

私の読書 ~ 最近読んだ本 2024年 其の六

平野啓一郎『ある男』

 今日は読書の話題。最近読んだ本2冊の感想。

 1冊目は平野啓一郎の『ある男』。未読の作家の本を読んでみようと思い選んだのがこの本。平野啓一郎といえば純文学畑の作家という印象があったが、読み物としてもおもしろい作品だった。

 まず、「序」で、作者らしき人物である「私」がこの話の主人公である城戸という弁護士を読者に紹介する。そして城戸が依頼を受けた女性の経験した出来事から物語が始まる。

 里枝という宮崎県に住む女性は、結婚4年にして夫を不運な事故で亡くす。夫は谷口大祐という名前であったが、訪ねてきた夫の兄は、その遺影を見て弟とは全くの別人だという。自分が愛して結婚生活を送っていた男は誰なのか。彼女は前夫との離婚調停の際世話になった城戸を訪ねて調査を依頼する。城戸は谷口大祐を名乗っていた男の人生を探っていくが、その中で、名前を交換することによって、過去の自分を捨て別の人間として生きようとした男たちの姿が浮かび上がってくる。そして調査に没入している城戸自身の存在も揺さぶられていく。

 平野啓一郎の文章は相性がよかった。夢中になって読む手が離せないという感じではないのだが、一つ一つの文がしっくりとくる感じで、主人公の城戸の思いに共感しながら読むことができた。

 他人の名前になるという話は前に読んだ宮部みゆきの作品にもあったが、こちらはミステリーという枠組みがあるので、謎解きが中心で、動機もどちらかというと社会的なものに比重が置かれている。『ある男』は、「他人の人生を生きる」ことと人間のアイデンティティーというものの関係を、より深く考えさせられる小説だった。われわれは自分の名前とともに過去の人生を背負って生きているが、名前を交換して別の人間になりきることによって新たな人間として生きる。そんな人生もありではないか。そういったことを考えながら読んだ。

平野啓一郎『ある男』

先崎学『うつ病九段』

 2冊目は、小説ではなくうつ病の体験手記。著者は将棋のプロ棋士である先崎学九段だ。ブックオフで本を探していた時、ふと目についたので買ってみた。

 私は将棋には興味がある方だ。といっても指す方はからっきし弱くて、テレビやネットでプロの将棋を時折観戦するだけだ。近年コンピュータが発達して、プロの対局の画面にもAIの評価値というものが出たりして、AIによる研究が欠かせないものとなってきた。先崎九段は羽生世代と呼ばれる天才世代の一人で、A級在位経験もある一流棋士だが、AI研究型ではない昔気質の将棋指しだ。文章が抜群にうまく、雑誌などに連載されているエッセイを読むと文筆家としての才能もあり、精力的かつマルチに活躍している棋士だった。つまり心の病とはいちばん縁遠い人物なのだが、うつ病で1年間将棋が指せなくなったという、その間の経緯を綴った手記だ。

 人間、日常生活でも気分の浮き沈みがある。私のイメージは、心が沈む出来事が積み重なった状態が悪化して、「うつ病」に移行するというものだったが、そうではなく、元気に日常生活を送っていたところ、ある日、普段とは違う頭、体の違和感があり、そこから転がり落ちるように「うつ」になっていくというものだった。そういえば、以前読んだ森村誠一さんの本でもうつ病の体験が書かれていた。森村さんも、ある日突然頭に靄がかかったようになってといったことだった。森村さんの場合は作家なのに、当たり前の言葉が出てこなくなる、先崎九段の場合はプロ棋士なのに、一目で解けるような初心者向けの詰将棋が解けなくなる。

 うつ病を振り返るエッセイというのは意外と少ないらしいが、このエッセイは筆者の生の声が出ていて興味深く読んだ。ただ、筆者は兄が優秀な精神科医であることや、経済的に余裕があることなど、病気の回復という点では恵まれた環境にあったのだろう。1年間で復帰というのはかなり回復が早い方だ。印象に残ったのは、「うつ病は心の病気ではなく脳の病気」という言葉や筆者の兄の「うつ病は必ず治る。医者の使命はその前に患者が自殺することを防ぐことだ」といった言葉だった。自分にもいつふり掛かってくるかもしれないという感覚で読んだ。

先崎学『うつ病九段』