ナラネコ日記

私ナラネコが訪ねた場所のことや日々の雑感、好きな本のこと、そして猫のことを書き綴っていきます。

私の読書 ~ 『麻雀放浪記』 其の一

阿佐田哲也

 今日はひさしぶりに読書の話題です。

 かなり昔に読んだ、阿佐田哲也の『麻雀放浪記』の話。

 阿佐田哲也というペンネームは、作家色川武大の麻雀小説用のペンネームだ。色川武大として発表された小説も素晴らしい作品が多く、直木賞を始めとして数々の文学賞を受賞しているが、世間一般では麻雀小説の第一人者として、または伝説的な雀士として、阿佐田哲也の名の方が知られている。

阿佐田哲也の麻雀小説に外れ無し

昭和の麻雀

 私が麻雀小説のバイブルともいえる『麻雀放浪記』を読んだのは学生時代だった。昭和50年代半ば。高度経済成長が終わりを告げ、まだバブル景気が訪れていない時代だ。大学入試は一期校二期校時代が終わり、共通一次が始まった頃だった。今の学生はあまり麻雀はしないようだが、私たちの頃はしょっちゅうやっていた。少なくとも私の周囲は。街の雀荘に行くこともあったが、長時間居座ると場所代がバカにならないので、誰かの下宿で卓を囲むのである。昔はこたつの天板の裏には必ず緑のフェルトが貼ってあって、すぐに雀卓になったものだが、今はそうはなっていない。麻雀人口が減ったということだろう。

 麻雀は、ゲームとしては最高に面白いが、とにかく時間を食う。また自分の好きなタイミングで抜けて帰るということができない。負けている者がもう少しやりたいと言えば付き合い、そのまま夜明けを迎え、やっと終わってちょっとひと眠りと思って目を閉じるともう昼過ぎになって、朝の講義をサボってしまうということになる。煙草の煙が立ち込める部屋での徹夜は健康に悪いし、時間は無駄に消費する。効率的でないしスマートでもない。現代の若者のライフスタイルには合わないのかもしれない。ちなみに、「阿佐田哲也」は「朝だ、徹夜」をもじったもので、このネーミングセンスはさすがである。

牌活字

 阿佐田哲也が麻雀小説という分野を開拓したのは言うまでもないが、第一の功績は、牌活字というものを、本格的に小説の中で使ったことだろう。牌活字とは何か。それについて、麻雀を知らない人に説明するのは至難の業だが、簡単に言うと麻雀牌に描かれた絵をそのまま活字にしたものだ。例えば、「次のツモは八筒だった」の「八筒」の箇所に、牌の絵の活字を用いるのだ。また、手牌の十三枚をすべて並べて牌活字で表現したりもする。これによって、麻雀をやっている場面が、臨場感をもって読者に伝わってくるのである。

牌活字

『麻雀放浪記』

 『麻雀放浪記』は「青春編」「風雲編」「激闘編」「番外編」から成る。ブログに書こうと思い、ひさしぶりに青春編を読んでみたが、出だしから文章がすばらしい。東京がまだ焼野原であった戦後、上野の貧民街でチンチロリンというサイコロ博打に興じる人々の姿から小説は始まる。登場人物の一人である上州虎を始めとして、明日の生活がどうなるかも知れない中で博打という目の前の麻薬に酔う人々の姿が鮮やかに描き出されている。

 『麻雀放浪記』は映画のことについても触れたいので、続きはまた今度。

何回も読んだ『麻雀放浪記』

☆この話は其の二に続きます。