吉村昭『法師蝉』
今日は読書の話題です。吉村昭の短編集2冊。
1冊目は『法師蝉』。20~30ページほどの短めの短編が9編収録されている。書かれたのは1990年頃なので、今から35年ほど前、平成の初め。作者が60代の頃の作品だ。
収録されている9編の主人公は、すべて少年期に戦争を経験した世代の男性で、大学を出、社会的に名の通った立場に身を置いて高度成長期を過ごし、定年を迎えている。妻とは見合い結婚または職場結婚で、経済的には不自由のない生活を送っている。
フィクションではあるが、作者と同世代の男性を主人公に据えることによって、作品には、どこかしら私小説的な雰囲気が漂っている。彼らの多くはそれまでの人生あるいは妻との関係に虚しさを感じており、そこから脱皮するために家を出たり、またそこまでいかなくとも、他人の人生に触れてある種の感慨を覚えたりする。葬式の場面が登場する作品、または死の影がちらつく作品が多いことも特徴だ。
描写が抜群に上手く、飾りが多い文章ではないが、それぞれの場面や情景、登場人物の様子が読んでいてクリアに伝わってくる。リアリズムの文体というのはこういう文体なのだと思った。登場人物の感覚は、今読むと古いと思うところもあるが、心情としてはよく伝わってきた。読んでいて、心が落ち着く作品集だった。
それでは2編だけ選んで感想を。
「海猫」
主人公は、行く先を告げずに妻を置いて家を出て、かつて訪れた海辺の村に一人で移り住む。妻との間に大きな衝突があったわけではないが、些細なことからその気持ちが胸をかすめたのだった。やがて気楽な生活を送る彼の元に妻がやってきて、戻ってくるよう促すが、気持ちのすれ違いは埋められない。
大きな事件が起きるわけではないし、読者の心を揺さぶるような仕掛けを作者が施しているわけではないが、読んでいて惹きつけられる。過去の回想が巧みに入れられ、主人公の心情がよく伝わってくる話だった。
「法師蝉」
主人公は、柿本という友人の死の報せを受け、その写真を見て、少年時代に見た法師蝉の羽化する情景を思い出す。そしてそこから、肺結核で病臥していた自分の青年時代の4年間のことも想起する。
蝉の羽化のイメージが、描かれている様々な死のイメージに結びついていく。友人、過去の自分、幼い頃の息子、そして最後に妻。蝉の羽化の美しさを描いた文章は他にあるかもしれないが、土中の長い年月と併せて、「蝉の羽化は、きわめて近い将来に死が約束されていることを示している」という捉え方は新鮮だった。

吉村昭『碇星』
2冊目は『碇星』。これも短めの短編が、8編収録されている。このうち『花火』『牛乳瓶』『光る干潟』の3編は自伝的な作品で、残りの5編は定年退職後の男性を主人公としている。
単行本が出たのは1999年なので、すでに昭和ではないのだが、登場人物の感覚は、女性に対する見方も、社会的な感覚もまさに昭和で、揺らぎがない。作者自身によるあとがきを読むと、作者は長編小説を書き上げた後、次の長編に映る間に、竹の節のように短編を書くと記されていたので、実際に書かれた時期は短編集が出るよりかなり前なのかもしれない。
それでは、自伝的な作品と、それ以外の作品から2編選んで感想を。
「花火」
「私」は青年期に結核にかかり、胸郭成形手術を受けて奇跡的に命が助かった過去を持つが、その時の執刀医の死を知り仮通夜に行く。その後、その後、家族と熱海に行き、花火を見物した「私」は、花火を見て興奮する孫を腕に抱き、感慨にふける。
25ページほどの短い短編だが、過去の体験が、現在の自分の姿に重なり合い、生きていることを実感する主人公の思いがみごとに描かれている。プロットも無駄がなく、この短編集の中でも、いちばんの傑作だと思った。
「喫煙コーナー」
五年前に妻と死別し、定年後、一人暮らしをしている能勢は、高架下のショッピングセンターを訪れ、喫煙コーナーで過ごす中で、菊川と飛田という同じような境遇の男性と知り合い、話を交わすようになる。ある日、孤独な生活を送っていた飛田の弟が死んだことを聞き、その葬式に付き合ったことから、三人の親密さは増す。
この話は、何気ない感じで老年期を迎えた男性の日常を描いている。特に大きな話の展開があるわけでもないが、自然に心に沁み入ってくるような話だった。こういう話がいいと思えるようになったのも、年のせいかもしれない。
