桜木紫乃『星々たち』
今日は読書の話題です。桜木紫乃の『星々たち』。
桜木紫乃の作品を読むのは5冊目だ。文体や作品の世界が気に入っており、いつもおもしろく読むことができる。
『星々たち』は2014年に発表された連作短編集で、30ページほどの話が9編並んでいる。章が進むにつ入れて時も進んでいく。冒頭の「ひとりワルツ」では、有線放送のリクエストの伊藤咲子の曲を黒電話でする場面が出て来るので、昭和50年頃だろう。最終章の「やや子」では、そこから35年ほど時が進んでいるので平成の中頃になる。
話は、シングルマザーの塚本咲子と、彼女が十代のころに産んだ娘の千春の人生を縦糸にして進んでいくが。それぞれの章は、彼女たちの周囲の人物たち、主に千春とかかわりを持つようになった人々を中心とした話となっている。
登場人物は、みんなそれぞれ、澱のように体に溜まった不幸とともに生きており、出口の見えない生活の中で、幸せをつかみたいと思っているがままならない。その中で、千春は流れに身を任せるように生きている。読んでいて、母の咲子に比べて、千春という人物の内面がくっきりと浮かび上がってこないのだが、それは千春の視点から語られている話がないからだ。千春の描写として、「細い体に釣り合わない大きな胸」という描写は何回も出て来るが、言葉が少なく、表情に乏しく、ほとんど自分の意志を持たない、感情が希薄な女性のようにも見える。
それが6番目の章の「逃げてきました」で、彼女が文学講座に通い、そこで作ったひらがな書きの短い詩から、作者の内面に潜むものが明かされ、「案山子」という章で、彼女の人生は、ある編集者崩れの作家により『星々たち』という物語になる。私はこの小説を、連作短編集より長編に近い話として読んだが、そのあたりの構成が実に素晴らしいと思った。
また、場面場面の描写が上手いので、情景がリアリティーを持ったものとして迫ってくる。例えば「渚のひと」で、育子が、久しぶりに帰省する息子のために、夕食に好物をテーブルが埋まるほど用意したものの、ほとんどが手つかずで、やり切れない思いで残った料理をゴミ袋に入れ捨てる場面。わが子に対する愛情が、空回りしてしまう悲哀が読者の心に伝わる。
文体は、ひとつ前に読んだ『起終点駅』に比べると、装飾が少なく読みやすい。この作品の1年ほど前に直木賞を受賞した『ホテルローヤル』が書かれているが、この作品では、作者がより平易な文体を意識しているのではないかという気がした。
読者は、千春の人生の行く末を気にかけながら読み進めていくのだが、「冬向日葵」で作者は千春になんとも残酷な運命を与えている。最後の章で、千春の娘のやや子が登場して、明るい光の見える終わり方となっているのが救いだった。
