ナラネコ日記

私ナラネコが訪ねた場所のことや日々の雑感、好きな本のこと、そして猫のことを書き綴っていきます。

最近読んだ本 2026年 其の二

吉村昭『遠い幻影』

 今日は読書の話題です。吉村昭の短編集『遠い幻影』。

 吉村昭の作品は、アンソロジーの中の短編が気に入り、長編『仮釈放』を読んで、これが2冊目になる。文庫本で20~30ページほどの短めの短編が12編収録されている。12編中9編が平成に入ってから書かれた作品で、代表作と言われる歴史小説の長編を数多く発表した後、60代後半になってから書かれた作品だ。

 ひと言でいうと、リアリズムの極致のような作品が並んでいる。作者が小説を書く上で、影響を受けた作家のひとりが志賀直哉だと言われているが、徹底したリアリズムという点ではそれ以上ではないかと感じた。抑制の効いた文体は読んでいて心地よく、個人的にはとても相性のいい作家だ。

 それでは3編選んで感想を。

「青い星」

 主人公の梅村は定年後、自分が過去に訪れた場所を再訪している。その中で、戦死した次兄と恋仲であった女性の存在を思い出し、光子というその女性が次兄の子を身ごもり産んでいたことを知る。梅村は光子と娘夫婦の住所を調べて訪れる。そこにはとんかつ屋があり、光子らしき女がカウンターの中で働くのを見るが、そのままにしておく方がよいと自分に言い聞かせ、名を告げることもなく、食事をして帰る。

 あらすじから分かるように、最後に人間ドラマが起こりそうなところで起こらず、また主人公の心境も大きく揺れ動くことはないが、読んでいてこういう終わり方が心地よく心に響く。主人公の心情には共感するところが多かった。

「父親の旅」

 主人公の菊岡は、夫の元から五歳の子供を残して家出して、男のもとに走った娘の久美子の行方を、友人に宛てた手紙から突き止め、連れ戻しに行く。久美子は男に捨てられ、北海道で暮らしていた。菊岡は久美子を家に連れて帰るが、夫の邦彦から離婚の手続きを進めたいという電話が入る。菊岡は仕方ないと思い、これでいいのだと、胸の中でつぶやく。

 この話は、定年後の気楽な日々に突然起こった娘の失踪騒ぎという大きな事件に、向き合い、行動する父親が主人公となっている。できごとや主人公の心境が、最後まで抑えられた筆致で描かれ、日常生活に戻っていくことが示唆されている。

「遠い幻影」

 「私」(作者を思わせる)は戦時中に、出征していく兄を見送りに行った夜の情景を度々思い出すが、それに付随して突然一つの記憶がよみがえる。それは、誰かから聞いた、出征兵士を乗せた列車にむらがった見送りの家族の多くが、傍らを通過した列車に轢き殺されたという、ショッキングで痛ましい事故の話だった。「私」はその事実を確かめようと思い、新聞社の知人などに聞くが、戦時中のことで表立って報道されなかったため、突き止められない。そこで話を聞いたと思われる従兄に電話すると、彼はその現場にいたと言う。「私」は従兄を訪ね話を聞く。そしてさらに駅の写真や当時の時刻表から具体的な列車や事故の起きた時刻を確認する。

 この話は短編集の題名となっているが、他の話と少し話の作りが違っているように思った。証言や史料を周到に取材した記録文学や歴史文学を書いた、この作者の原点が現れているような作品で、いちばん印象に残る話だった。 

吉村昭『遠い幻影』