星新一『ひとにぎりの未来』
今日は読書の話題です。星新一の『ひとにぎりの未来』。
文庫本で五ページから十数ページのショートショートが40編収録されている。通勤の電車内で読もうとブックオフで見つけて買った。
星新一といえばショートショートの神様だが、私はあまり読んでいなくて、家には文庫本5冊ほどしかない。好きだったのは筒井康隆で、ショートショートだけではなく長編やエッセイも含めて、家に80冊ほどある。中学生の頃、先に筒井康隆の狂気をはらんだ破壊的な世界に触れてしまったので、星新一の作品が、破綻がなさ過ぎてやや物足りなく思えたのだった。
今回読んだ『ひとにぎりの未来』。50年近く前に書かれたものだが、さすがに作品は粒ぞろいだ。どうなるのかという謎が読者に提示され、最後にしっかりと落ちがつく。短い時間の通勤電車の中や昼休にさっと取り出して読むにはもってこいだった。個人的には、きれいに整った「ショートショートの教科書」的なものよりも、何かしら心を揺さぶられる要素がある作品が好きだ。印象に残った作品をいくつか上げてみる。
「コビト」
サーカス小屋の舞台でいじめられていたコビトの話。弱いものを守ろうとしているうちに、立場が逆転する。こう来るかという感じのラストがよかった。
「成熟」
おもしろかった。三人の男の心理的な駆け引きの描き方が絶妙。一人一人の名前や個性を出さない描き方が活きている。
「くさび」
ある男の妻が妊娠したと告げるが、診察した男性医師は想像妊娠だと言う。ところが別の女医は妊娠だという。そして女医の病院で妻は出産するが、男には赤ん坊の姿が見えない。そして最後にという話。この話は読み終わってもやっとした感じが残るが、それがよかった。
「はい」
コンピューターに支配される人生というのはよくあるテーマだが、やはり書き方が上手い。死の瞬間まで支配から逃れられないという結末はぞくっとする。
「自信に満ちた生活」
身上相談機なるものが登場するが、これはまさに現代の生成AIではないかと思った。50年前に書かれた未来に現実が追いつこうとしているのだと思った。

番外編~北杜夫『どくとるマンボウ航海記』
家の本棚を何気なく見ていて、中学生の頃読んだ北杜夫の『どくとるマンボウ航海記』があった。懐かしくてぱらぱらと流し読みするつもりで手に取ったら、面白くて、最初から全部読み直してしまった。独特のユーモアに溢れ、文章がすばらしい。はるか昔に読んだ本を再読するのも、昔訪れた土地を再訪するようなもので、いいものだと思ったのだった。(下の写真の本は、後で買い直したもの。表紙が少し新しい)
