浅田次郎『お腹召しませ』
今日は読書の話題で、最近読んだ本2冊の感想です。
1冊目は浅田次郎の『お腹召しませ」。浅田次郎は「外れなし」の作家で、家に何冊も文庫本があるが、時代物は読んだことがなかった。『お腹召しませ』は短編集で、40~50ページの短編が6作品収録されている。どれも上質のエンターテインメントで、文章もいい。楽しんで読むことができた。
6作品とも、江戸時代末期の武家社会が素材となっている。小説の前後に作者のエッセイ風の文章(これももちろん創作の一部と考えられる)がつけられており、作者が祖父から聞いた話や身辺で見聞きした出来事から発想を得て作ったという、ひとひねりした体裁をとっている。それでは何編か選んで感想を。
「お腹召しませ」
高津又兵衛は、家格の違う家から婿養子をもらい良縁だと喜んでいたが、その婿養子が吉原の女郎を身請けするために公金を横領するという不始末をしでかす。家を守るためには切腹しかないと周囲から言われ、妻や娘にまでせっつかれる。
「腹を切る」は現在、組織のために責任を取って職を辞す時など、比喩的に使われるが、これが社会に存在していた時代の話。結局又兵衛は、切腹をせず、つまり家の存続はあきらめて妻子を養う決断をするが、そこまでの話の展開や人情の機微の描き方が上手く、さすがだと思った、
「大手三之御門御与力様失踪事件之顛末」
大手三の門の警備に当たる与力横山四郎次郎が密室状態の城内から失踪し、神隠しにあったということになるが、ある日突然、気絶して倒れた状態で戻ってくる。
神隠しというという言葉も、今は「神隠しにでもあったように」という比喩でしか使われないが、それが信じられていた時代でもある。この話の四郎次郎は実際、神隠しにあったわけではなく、馴染みの女性の死に目に会うために抜けだしたのだったが、神隠しという言葉は、都合の悪いことをなしにできる便利な言葉でもあったというところが、とぼけた味わいもありおもしろかった。
「女敵討」
奥州財部藩士である吉岡貞次郎は、江戸詰であったが、国元にいる妻が浮気をしているということを旧知の仲である御目付役の稲川左近から聞かされ、女敵討ちをせねばならぬはめになる。女敵討とは不義の現場を押さえ、妻と相手の男を成敗することを指す。
最後に貞次郎は、二人を斬ることはせず、金を持たせ家を出すにとどめるのだが、そこに至るまでの、妻との関係を思い起こす心の動きが巧みに描かれていて、いちばん浅田次郎らしい話だと思った。
全編を通して、武士の本義が形骸化してきた幕末の時代に生きた人々の、人間味ある生き方が描かれた作品で、よかった。

乙一『暗いところで待ち合わせ』
2冊目は、乙一の『暗いところで待ち合わせ』。家の本棚にあったのを見つけた。うちの本棚のほぼ8割くらいは私が買った本だが、2割くらいは家の者が買った本で、その中の1冊。読んだことのない作家だったので、手に取ってみた。
作風など、予備知識なしに読み始める。文庫本で200ページくらいの短めの長編小説で、四章に章立てしてある。
まず登場するのが、本間ミチルという若い女性。交通事故が原因で視力を失っている。父親と二人暮らしだったのが、父が急死し、すぐ裏手に駅のホームが見える家に一人で住んでいる。訪れるのは小学校時代からの友人であるカズエだけで、外の世界とのつながりを絶って生きている。そんなミチルの生活の中に入ってきたのが大石アキヒロ。彼は孤独を好む人間だったが、職場の人間関係に苦しみ、その元凶である松永トシオの存在に重圧を感じている。ある朝、通勤途上の駅のホームで松永を見たアキヒロは殺意を抱く。ホームから突き落とされ轢死した松永を殺した犯人として追われたアキヒロは、隙を見てミチルの家に逃げ込み、居間の隅で生活する。ミチルはやがて他者のいる気配に気づくが、身を守るために知らないふりをする。
これが前半のあらすじで、二人の奇妙な同居生活の描写が続くが、読んでいて飽きが来ることなく、引き込まれる。第三章になって、二人は互いの存在を認知し合い心が通じ合うようになり、ハルミという女性も話の中に入っていき、物語が動き出す。
そして最後の章に、大きなどんでん返しがある。この結末に対する感想は、いい意味での「やられた」というやつで、叙述トリックのような手法が使われていて、前半のあまり話が動きだしていない部分にしっかりと伏線が敷かれている。そのうちの一つは、きわめて大胆なものなのだが、私は気づかなかった。ただ、ミステリーとして読んでいたら、「あれ」と感じたかもしれない。
思いがけず、ミステリー的なおもしろさを味わうことができた小説だった。
