小川洋子『最果てアーケード』
今日は読書の話題です。最近読んだ小川洋子の短編集2作について。この前読んだ短編集『海』がとてもよかったので、続けて読んでみた。
1冊目は『最果てアーケード』。連作短編集で、20ページほどの話が10編並ぶ。
物語の舞台は、町の片隅に取り残されたように存在している「世界で一番小さなアーケード」。そこには使用済みの絵葉書やレースの切れ端、義眼、ドアノブといった、誰が買うのかといった品ばかり取り扱う店が集まっていて、それらを必要とする人々がやってくるのを待ち続けている。物語の語り手の「私」は、それらの店の品物をお客の元に届ける配達係をしていて、ふだんはアーケードの突き当りにある中庭で飼い犬のべべとともに時を過ごしている。第1話の冒頭で、「私」はそのアーケードの大家のであった男性の娘で、16歳の時に火事で父を失ったことが記されている。
それぞれの店主たちは、ひっそりと自分のペースで店を営み、自分たちの品を必要とする人が来店するのを待っている。そしてそこで起こるできごとを「私」は眺め、語っていく。
私は読んでいて、ひとつひとつの物語に、いかにもこの作者らしい、ひそやかで静謐な世界が描かれていると思ったが、『海』に収録されていた作品に比べるとやや物足りなさを感じていた。それが最後の2編まで読んで、欠けていたピースが埋まったような印象を受けた。「ひとさらいの時計」で「私」は店を訪れた客の後を尾行し、死んだ父が生きるはずだった人生を探す。そして「フォークダンス発表会」では、父が亡くなった日のできごとが語られる。父を失った「私」の喪失感と、アーケードに暮らし、配達係として、そこに生活している人々を見つめることによる心の癒し。過去と現在を往還する時の流れの中で、10編の話が「私」の心のありようと結びつき、物語がとじられる。連作短編集としてのすばらしさを感じた。
小川洋子『口笛の上手な白雪姫』
2冊目は『口笛の上手な白雪姫』。20~30ページほどの短編が8編収録されている。『海』に掲載されていた作者インタビューで、「小説を書くのは妄想にひたっているようなもの」といったことが書かれていたが、そう考えると、ここに収められている作品は、8つの「短い妄想」を文学として昇華したものということができる。描かれるのは、世界の片隅でひっそりと生きる人たちの小さく、愛おしい世界。物悲しく、静かで、そこには何かしらの救いがある。読者はそこで紡ぎ出された世界をただ、感じればいいのだろう。
それでは、8つの作品の中から2つ選んで感想。
「盲腸線の秘密」
おじいさんとひ孫が、廃線の危機にある赤字の盲腸線(本線から少し突き出た支線)を守ろうと、毎日電車に乗る。二人はいつも終点の線路の畑で休憩し、ひ孫はそこで飼われてるウサギと遊ぶ。
この作品がいちばん好きだった。二両編成の小豆色の電車、車窓から見える川沿いの風景、畑の中を駆け回るうさぎ、うさぎを抱き上げて撫でた時の手触り。描かれている一つ一つの場面が目の前に存在しているようなものとして実感された。二人の小さな世界は、畑に入ることを制止する駅員によって終止符を打たれるが、その時の思い出はひ孫の心の中にずっと刻み込まれている。読後感の非常にいい作品だった。
「口笛の上手な白雪姫」
公衆浴場の裏庭の小屋に住み、いつも浴場の片隅にいて、母親から赤ん坊を預かり面倒を見る小母さんが描かれている。小母さんは身なりには構わず不愛想だが、赤ん坊にだけ聞こえる口笛を吹き、どんな赤ん坊も小母さんにはなつく。
この小母さんの存在も、作者の「妄想」の中から生まれたものだろうが、読んでいて確かな存在として感じられる。後半の行方不明になり見つかった女の子の話も印象深かった。
その他の作品では、「さき回りローバ」「かわいそうなこと」の二編がよかった。どちらも小さな男の子が主人公だ。
一つ難点を書くと、文庫版の解説。前に読んだ『海』の作者インタビューと解説がとてもすばらしく、得した気がしていたのだが、この解説はピント外れ。これなら、解説なしで作品だけの方がいいと思った。