ナラネコ日記

私ナラネコが訪ねた場所のことや日々の雑感、好きな本のこと、そして猫のことを書き綴っていきます。

私の読書 ~ 最近読んだ本 2025年 其の五

今村夏子『あひる』

 今日は読書の話題です。最近読んだ本2冊について。

 1冊目は今村夏子の『あひる』。今村夏子の本を読むのは5冊目になる。短編集で、表題の「あひる」を入れて3編が収録されている。活字がやけに大きいのが老眼にやさしくてありがたいが、これは活字が小さいとページ数が少なくなりすぎるからだろう。

「あひる」

 前回読んだ短編集がいまいちだったのだが、この小説は作者の本領発揮といった感じで、今まで読んだ中でいちばん好きな作品だった。

 主人公の「わたし」は両親と3人暮らしの女性。医療系の資格試験の勉強をしているがまだ無職。10年前に家を出て結婚している弟がいるので、おそらく30代半ばくらい。両親はすでにリタイアしている様子で、何かの宗教に傾倒しているようだ。

 1羽のあひるを家で飼い始めたところから話がはじまる。「のりたま」という名のそのあひるを見に、近所の子どもたちが集まるようになり、静かな家に活気が生まれる。こう書くと、心温まる話なのだが、そうはいかない。のりたまは次第に元気をなくして衰弱し、父が動物病院に連れて行く。そして2週間後に元気になって帰ってくるのだが、姿かたちが違う。両親は新しい別のあひるをのりたまとして飼い、子供たちもまた集まってくる。

 子供たちはわがもの顔に家の中ではしゃぎ回るようになり、2羽目ののりたまも弱ってくる。父はまた同じように3羽目ののりたまを連れて来るが、これも弱って死ぬ。あひるがいなくなっても子どもたちの横暴はおさまらない。だが久しぶりに帰ってきた弟が怒鳴りつけて追い出す。弟は、自分たち夫婦に待ちかねた赤ちゃんができるということを告げ、両親を喜ばせる。そして弟夫婦は「わたし」の家に赤ん坊とともに越してきて、同居することになる。家族が増え両親に笑顔が増える。

 あらすじだけを書くと、最後でハッピーエンドになる話のようだが、そうは思えない奇妙な違和感が残るのがまさにこの作者の世界だ。次々と衰弱して死んでいくあひるを、その代わりとして家に来る弟の赤ん坊の姿に重ねて読むこともできるが、作者がどれだけ意図的かは分からない。ごく自然に作者の中から生まれたように見える。さらに言うと、そういった得体の知れない空気は、この小説の家族だけではなく、すべての家庭の中に潜んでいて、私たちはその危うさに気づかないふりをしているだけではないかという思いを抱かせる。作品の細部の表現のおもしろさを上げるときりがないくらいある。

「おばあちゃんの家」「森の兄妹」

 それから、この短編集には、「おばあちゃんの家」「森の兄妹」の2編がさらに収録されている。この2つの作品はリンクしているのだが、奇妙な小説だ。これも語り出すと長くなるので、これくらいで。

今村夏子『あひる』

重松清『また次の春へ』

 2冊目は、重松清の『また次の春へ』。重松清の作品は、よく読んでいた時期があったが、しばらく手に取っていなかった。どんな題材も読み手の心に響くような物語としてうまく料理する作家という印象がある。

 『また次の春へ』は東日本大震災の被災者を描いた短編集で、2011年から2012年にかけて書かれた短編7編が収録されている。あとがきを読むと、作者自身。被災地を取材で、あるいは私的な用件で何度も訪ねたとのことで、どの作品も、震災の後を生きる人たちの気持ちに寄り添うように描いた物語となっている。話の切り口や、登場人物の心情の描き方は、いかにも重松清らしく上手い。

 文庫本の収録は、発表順のようだが、個人的には後半の作品に好みの作品が多かった。2編選んで感想を。

「帰郷」 

 原発避難区域に住む人々の心情を描いている。人が集まらない寂しい夏祭りの場面から始まり、酒を酌み交わすものの、心が離れやりきれない思いが残る人々の姿を描く。三好達治の有名な詩の異なる解釈から、村の昔話に思いを馳せた主人公が、友人を誘って、深夜に思い出深い村の古寺の絵馬堂を訪れるという展開が上手いと思った。

「また次の春へ」

 いちばんの力作だと感じた。勝手な想像だが、震災を題材にした作品に一区切りをつけるという作者の意図もあったのだろうか。

 東京で暮らす洋行は、半年過ぎても、震災の津波で行方不明となった両親の死亡届を出せないでいる。そんな時、北海道のM町から両親あての手紙が届き、両親がM町のメモリアルベンチを申し込んでいたことを知る。一方、故郷の町では、最後の行方不明者の一斉捜索が行われ、帰郷した洋行は幼馴染たちと再会するが人々の心は離れている。洋行はそこでM町が故郷と縁の深い町であったことを知りM町を訪れる。

 主人公自身の病気や娘の結婚もあり、場面の転換も多い話なのだが、すっと頭に入ってくるのはさすがだと思った。短編集のしめくくりにふさわしい、読後感のいい作品だった。

重松清『また次の春へ』