ナラネコ日記

私ナラネコが訪ねた場所のことや日々の雑感、好きな本のこと、そして猫のことを書き綴っていきます。

私の読書 ~ 最近読んだ本 2025年 其の四

森見登美彦『太陽の塔』『新釈 走れメロス 他四編』

 今日は読書の話題です。最近読んだ本3冊について書きます。

 1冊目は森見登美彦の『太陽の塔』。20年ほど前に発表された作者のデビュー作、日本ファンタジーノベル大賞を受賞した話題作だ。

 内容はまさしく青春小説。頭でっかちで、肥大した自意識を持て余しながら、妄想の中に逃れ、不器用に生きる京都の冴えない大学生(京大生)たちの姿を描いている。主人公たちの生き方はいたって真剣なのだが、はたから見れば滑稽。それが独特の文体で、ユーモアたっぷりに表現されている。まあ、醒めた目で見れば、モラトリアム人間はいい気なものだといったことになるのだが。

 読み始めて、最初のうちは、なかなか作品の世界がしっくりこなかったが、3分の1くらいまできて、なじんできた。どこかで昔、この文体に近い作品に出会ったことがあると思い、ふと思ったのが北杜夫のマンボウものの世界。ただし北杜夫の作品に見られる、口の中で遠慮がちにぶつぶつとつぶやくような含羞はない。ちなみに、文庫版で、解説の本上まなみさんが、「大言壮語、文士的な語り口は躁病期の北杜夫文学を思わせる」と書いているので、同じ感想を持つ方もいるのだと思った。全体的に、作者の卓越した文才と表現のおもしろさは感じたが、それだけだった。

 好き嫌いが読者によって、あるいは読む時期によって分かれる作品ではないかという気がした。私も今の年齢で読むのではなく、若い時に読んでいたら、もっと心に響いていたかもしれない。

森見登美彦『太陽の塔』

 2冊目も、森見登美彦で、『新釈 走れメロス他四編』。『太陽の塔』をブックオフで買うとき目について、おもしろそうだと思って買った。

 内容は、『山月記』『藪の中』『走れメロス』『桜の森の満開の下』『百物語』という文豪の名作短篇を下敷きにした作品集。登場人物はすべて京都の大学生で、そこは『太陽の塔』も同じだが、私はこちらの方がずっとおもしろかった。

 作品の系統としては、パスティーシュとかオマージュとかいったものになるのだろうが、作者の持ち味がよく出ていたように思う。原作は、『百物語』以外は読んでいて、『百物語』もこの話を読む前に青空文庫で読んだ。

 おそらく作者は、最初の『山月記』をいちばん書きたかったのではないかと想像するが、私は、後半の三篇がよかった。『走れメロス』は、太宰のいちばん筆が走っている名作を、さらにリミッターを外して突き抜けさせてドタバタ調に仕上げた作品でおもしろかった。『桜の森の満開の下』は、満開の桜の持つ世界の怖さを、坂口安吾の原作とはまた違った味わいで描いた秀作だった。最後の『百物語』だが、鴎外の原作は、『百物語』という題名につられて怪談っぽい話を想像して読み始めたら、主人公は百物語の催しに参加するのだが、人々の様子や下駄を履き間違えられた話などが続き、なかなか百物語が始まらない。結局主人公は周囲の人々を観察するだけで、百物語を聞くことなく、帰ってしまうという話なのだった。森見登美彦の『百物語』は、ある意味、いちばん原作の味わいをよく伝えたもので、原作を読んでいるからこそのクスっと笑える箇所がいくつもあった。

森見登美彦『新釈 走れメロス 他四編』

『朝吹真理子』きことわ

 2冊目は、朝吹真理子の『きことわ』。2011年の芥川賞受賞作だ。ブックオフでなんとなく本棚を眺めていた時、ふっと背表紙の題名が目に入ってきたので、思わず買った。

 私は基本、読み物としておもしろいかということを中心に読書をするが、この作品は、そういったおもしろさは抜きにしてよかった。

 ストーリー的に、これといった展開はない。少女時代に神奈川県の葉山の別荘で、夏の数日間をともに過ごした貴子と永遠子。七歳違いの二人が二十五年後に再開するという物語。二人の姉妹のような、また同性愛を思わせるような親密な関係をめぐる記憶が、現在と過去、夢と現実の境目が溶け合って描かれる。一つだけ違和感があったのは、少女時代に七つの年齢差があってこのような関係が成立するのだろうかということだったが、そのあたりは疑問のままだった。なにか作者の体験を下敷きにしているのかもしれないと思った。

 私は感覚的な表現が苦手だったりもするのだが、この作品の場合はそういった表現が、読んでいて心地よく心に沁み通っていく感じだった。ストーリーの展開を追いながら読むのではなく、言葉によって作り出された世界そのものを味わう。そういった作品だった。

朝吹真理子『きことわ』