ナラネコ日記

私ナラネコが訪ねた場所のことや日々の雑感、好きな本のこと、そして猫のことを書き綴っていきます。

私の読書 ~ 最近読んだ本 2024年 其の十二

山本兼一『利休にたずねよ』

 今日は読書の話題で、最近読んだ本3冊の感想。

 1冊目は山本兼一の『利休にたずねよ』。15年前の直木賞受賞作で、一度読んでみたいと思っていた作品だった。

 千利休という人物は、茶道の第一人者として、誰でもその名を知っている人物だ。秀吉に切腹を命ぜられるという最期を遂げたことも知られているが、その理由には諸説あり謎とされている。『利休にたずねよ』は、その一生を描くにあたり、切腹の日から若き日まで、時間をさかのぼって書いていくという独特の手法をとっている。歴史小説であるから、各章に秀吉をはじめとする実在の人物が何人も登場するが、利休が肌身離さず持つ緑釉の香合とそれにまつわる若き日のある女性との逸話が物語の大きな柱となっている。もちろんこれは作者の創作だ。

 これは入念に下調べをして、構成を練り上げなければ書けない小説だと思った。緑釉の香合にまつわる高麗の女との悲恋。これをクライマックスに持っていくための構成だろうかと思ったが、破綻せず完成させられるという目算がなければ、そもそも書き始められないだろう。大きな賞を受賞するにふさわしい、たいへんな力作だというのが読後の印象だった。

 ただ、読んでどんどん引き込まれて話に入り込んでいけたかというと、そこまでではなかった。言い方を変えると、それほど心には響かなかったというわけで、これは読む側の私と作品との相性だろう。物語の世界の背後で、作者が「作り込んでいる」という感じがする作品でもあった。

山本兼一『利休にたずねよ』

小川洋子『ミーナの行進』『薬指の標本』

 次は小川洋子の作品2冊。小川洋子の小説は、かなり以前に『博士の愛した数式』を読み、最近になって『ことり』『人質の朗読会』を読んだ。特に『ことり』がすばらしかったこともあり、読みたくなって長編と短編を1冊ずつ買って読んでみた。

『ミーナの行進』

 『ミーナの行進』は文庫本で300ページほどの長編。ところどころにほのぼのしたイラストが入っている。

 舞台は1972年の芦屋。語り手の少女「わたしは」は、母の事情で親元を離れ、いとこのミーナの住む屋敷で、その家族とともに夢のような1年を過ごす。語り手の少女が中1でミーナが小6。私が1961年生まれなので、ほぼこの小説の二人の少女と時代が重なる。広大な屋敷には昔動物園があり、伯父さんが子どもの頃、誕生日祝いに買ってもらったコビトカバがいて、病弱なミーナはコビトカバに乗って学校に通う。二人の少女の幼い恋の行方や「わたし」のちょっとした冒険など、大きな事件は起こらないが、1年間のできごとが、ミーナと「わたし」とのかけがえのない思い出として語られる。

 いい作品なのだが、私はこの小説に、『ことり』を読んだときほどの感動を覚えなかった。理由は、作品に出て来るミーナの一家がそれほど好きになれなかったこと、そして少女が主人公ということで、なかなか感情移入して読めなかったことがある。物語の世界の中にずっと入り込んでいたいという、小説に触れることによる幸福感といったものが薄かった気がする。

小川洋子『ミーナの行進』

『薬指の標本』

 文庫本で90ページほどの短編が2編収録されている。どちらもすばらしかった。作者の持ち味が発揮されるのはこういう作品かと思った。

薬指の標本

 人々が自分の思い入れのある品物を持ち込み、標本にしてもらう「標本室」で働くようになった「わたし」は、以前勤めていた炭酸ソーダ工場で薬指の先を失っている。「わたし」は標本技術士の男性に惹かれ、倒錯的ともいえる恋に陥り、自分の失った薬指を標本にしてもらおうと思う。

 空想的な話だが、作品の世界は実感を伴って心に迫ってくる。男が「わたし」に靴をプレゼントするところが印象的だった。その靴を履くことによって、「わたし」は男に縛られ離れられなくなるということだろうか。いろいろな読みができる小説で、文学のおもしろさを味わわせてくれる作品だった。

六角形の小部屋

 「わたし」はふとしたことから、森を抜けたところに建つ社宅管理事務所の中にある「六角形の小部屋」の存在を知る。その部屋は、ユズルさんという青年とその母のミドリさんが運営していて、客は一人でその部屋に入って、自分の心の奥にある語りたいことを語る。恋人と別れ、自分の心がつかめない「わたし」はその部屋に心惹かれるが、ある日その小部屋は消え去ってしまう。

 こちらの作品の方が、作品の構造としては分かりやすい。小川洋子の短編は、昔読んだ村上春樹の初期の短編と似た空気感があり、特にこの小説はそれを感じた。

小川洋子『薬指の標本』