小川洋子『人質の朗読会』
今日は読書の話題。最近読んだ本2冊の感想。
1冊目は小川洋子の『人質の朗読会』。小川洋子の作品を読むのは3冊目だ。以前ブログにも書いた『ことり』がたいへんよかったので、あえて少し間を置いて買ってみたのがこの本。十数年前に書かれた作品だ。
話はまず、海外で起きた日本人のツアー客の反政府ゲリラによる誘拐事件から始まる。ツアーに参加した8人は人質となるのだが、現地の軍とゲリラの銃撃戦のため、全員死亡してしまう。ショッキングな形で終わった事件だが、2年後になり、人質たちが収容されていた猟師小屋から録音テープが見つかり、彼ら彼女らが自ら書いた物語を朗読し合っていたことが分かる。そしてそのテープは『人質の朗読会』と題されたラジオ番組として、人々の耳に届けられることになる。
こういったプロローグの後に、それぞれの人々の物語9編が続く。人々には、たまたま同じツアーに参加し、死を迎えたということ以外に横のつながりはない。それぞれの物語は、ドラマチックなものではないが、「未来がどうあろうとも決して損なわれない過去」である。
私はこの作品を読んで、唐突に、かなり昔に手に取った村上春樹の『回転木馬のデッドヒート』という短編集を思い出した。この短編集も、冒頭に「はじめに・回転木馬のデッドヒート」という序章があり、その後に8つの短編が続く。冒頭の章がなくても短編集として成立しているが、冒頭の章も含めてひとまとまりの作品の世界となっていると考えて読むこともできる。『人質の朗読会』も同様で、一つ一つの作品はそれぞれ独立した話だが、人質としての生活の中で語られた過去の記憶ということも含めて、作品の世界を形作っている。
一つ一つの短編に関しては、好きな作品とまあまあくらいの作品があった。ストーリー展開で読ませようとする作家ではないので、作品の肌触りのようなものによるのだろうか。好きな作品を上げていくと、「第二夜 やまびこビスケット」「第四夜 冬眠中のヤマネ」「第五夜 コンソメスープ名人」「第六夜 槍投げの青年」「第八夜 花束」。3編くらい選ぼうと思っていたら5編になった。一つ一つの感想を書いていったら長くなるのでこれくらいで。
川端康成『掌の小説』
2冊目は、川端康成の『掌の小説』。川端康成が20代の頃から40年以上にわたって書いてきた掌編小説、122編が収録されている。ブックオフで本を探している時に、たまたま目についたので買った。
川端康成は、かなり昔に『雪国』を読んだ時、あまり相性が良くないと勝手に思っていてずっと読んでいなかったのだが、これは長い作品でも10ページほどの掌編なので比較的読みやすかった。ちなみに、『掌の小説』の「掌」は普通に読めば「てのひら」だが、川端康成は「たなごころ」と読ませている。
122編あると、いいと思う作品もあれば、いまいち感覚的に合わない作品や、話の意味が分かりにくい作品があったりする。冒頭の「骨拾い」が作者16歳の時の祖父の火葬の日の体験を18歳の時に書いた作品で、その後、20代前半から発表年代順に並べてあるのだが、最初の方の作品はは感覚的に合う作品が多く、途中(文庫本でいうと200ページあたり)から、ちょっと肌に合わない作品や分かりにくい作品が増えてくる。それが471ページの「愛犬安産」という随筆風の作品をはさんで、次の「ざくろ」以降の作品は書き手が変わったかのように読みやすい。発表年代でいうと、「愛犬安産」の一つ前の「秋風の女房」が作者34歳、「ざくろ」が44歳の作品なので、その間は10年くらい掌編を書くのをやめていたことになる。掌編を書く時の姿勢にも変化があったのかもしれない。
印象に残った作品をいくつかピックアップ。まず「ざくろ」より前の作品から。
「男と女と荷車」「バッタと鈴虫」→男女の子供たちが遊ぶ様子が生き生きと描かれていて、情景が浮かぶようでよかった。
「金糸雀」「心中」「屋上の金魚」→ちょっとホラーっぽい話。特に「屋上の金魚」の最後は情景を思い浮かべると怖い。
「港」「敵」→文庫本で1ページ半くらいで超ショートショートといった感じ。こういう作品もいい。
「雨傘」→これも2ページ半くらいの短い作品、少年と少女のみずみずしい情感が傘という小道具を巧みに用いて描かれていた。
「茱萸子盗人」→ひと昔前の田舎の秋の風景が目に浮かぶような感じだった。
「帽子事件」「雪隠成仏」→滑稽な味わいの作品。雪隠成仏はバカバカしくて、川端康成でもこんな話を書くのかという感じだがおもしろかった。
他にもあるが、書いていくときりがないのでこれくらいで。
「ざくろ」以降の作品は、登場する人物、特に女性の心情がしっかりと伝わってきてすべてよかった。