今朝の鳥たち
昨日までの寒波が去り、今日は気温が13℃くらいまで上がるという予報が出ている。当分寒さがぶり返すことはないようだ。土曜日で仕事が休みなので、7時半頃からゆっくりと朝の散歩に出かけた。今日は街の中から公園を抜けて堀端の道を歩き、少し田畑の中の道も歩くという長いコースをとった。堀を見ると、またカモの数がぐっと減っている。まだ北の国に去っていく時期になっていないと思うのだが、どうしたことだろう。
狭い公園の中の小さな池にカルガモが4羽泳いでいた。普段は水鳥の姿は見ない場所である。カルガモは何か落ち着いた感じがするが、ずっと日本にいる鳥(留鳥)だからだろうか。
田んぼにサギが何羽か立っていた。別に珍しい風景でもないのだが、ダイサギが2羽、あぜ道の少し高い位置にいて、コサギが4羽、低い位置にいるのが親分と子分といった感じでおもしろかった。ダイサギとコサギの識別は、大きさがかなり違うので分かりやすい。
その他、ツグミとイソヒヨドリも撮った。この2種類の鳥は、最近になってから名前と姿が一致し、目に付くようになった鳥だ。(イソヒヨドリは名前すら知らなかった)知るということは大切なことだ。知ることによって、見えなかったものが見えるようになる。
『野ばら』
朝の新聞で、トップ記事はやはりロシアのウクライナ侵攻だった。簡単にまとめることなど、とてもできないのだが、やはり思うところはある。朝の散歩の時、なぜかふと思い出したのが、子どもの頃、少年少女世界文学全集の「現代日本童話集」の巻で読んだ、小川未明の『野ばら』という童話。有名な作品だが、下にあらすじを簡単に書いてみる。(青空文庫などでも読めるので、これから読んでみようと思う人は飛ばしてください)
都から離れた山の国境に、国境を定めた石碑をはさんで、一人ずつ兵士が派遣されていた。大きな国の兵士は老人で、小さな国の兵士は青年だった。二人はいい人間で、次第に打ち解けていく。ところが両国の間で戦争が始まり、青年は戦場へと去っていく。国境には老人が一人取り残され、老人は青年の身を案じる。ある日老人が旅人に話を聞くと、戦争は終わり小さな国の兵士はみなごろしになったと言う。老人が青年も死んだのかと思い、石碑の礎に座りうつむいていると、あの青年が指揮する一列の軍隊がやってくる。青年は老人に黙礼をし、ばらの花をかぐ。老人がなにか言おうとすると目が覚め、夢であったことを覚る。やがて野ばらは枯れ、老人は暇をもらい家族の元へ帰る。
実はこの話、子どもの頃読んだ時はそれほど印象に残らなかったのだが、成人してから読み返して、感動を覚えたものである。作品に接したときの心のありようが変化していたのだろう。
今日は昼ごろから明日香方面に出かけたのだが、その様子はまた後日。