ナラネコ日記

私ナラネコが訪ねた場所のことや日々の雑感、好きな本のこと、そして猫のことを書き綴っていきます。

私の読書 ~ 村上春樹①

寒さも少し緩んで

 今朝は一昨日からの寒さが少し緩んでいた。街の中を中心に朝の散歩をする。空の色を見ても、日の出が早くなったことが分かる。公園の梅の花も開いてきた。お気に入りのレトロな大時計の背後に青空が広がる。

 今日は久しぶりに読書の話題でも。村上春樹を取り上げる。

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公園の大時計と午前6時50分の青空

村上春樹という作家

 村上春樹は特異な位置にある作家で、このようなブログの中で、愛読していますといったことを書くのに、ためらいを覚えてしまうところがある。

 たとえば、「村上春樹のファン=女性にモテたいための文学通ぶった奴」といった見方があったり、Yahooの知恵袋あたりに「私は村上春樹の良さが分かりません。あんな・・・どこがいいのですか」といった質問がよく来たりするのは、他の作家にはあまり見られない現象だ。小説に好き嫌いがあるのは当然で、自分が好きでなかったら読まなければそれでいいのだが、村上春樹の場合は好きな読者がいることに対して、「いちゃもん」をつけたくなるような空気がある。

「ノルウェイの森」

 村上春樹に対する世の見方が特異なものとなってきたのは、『ノルウェイの森』が世に出てから、正確に言うとベストセラーになってからだと記憶している。

 私は、『風の歌を聴け』の頃から、村上春樹の作品を読んでいるが、『羊をめぐる冒険』までの初期三部作と『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』まで、世の評価は肯定的であったように思う。

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世界の終りとハードボイルドワンダーランド

 ところが、その次に書かれた『ノルウェイの森』は何百万部というベストセラーとなったにもかかわらず、評論家たちには酷評されることが多かった。当時、私も何かの雑誌の評論家の座談会でこの作品に対する否定的な意見が述べられているのを読んだが、余計な感情が先に立って公正な評価がなされていないように思った。丸谷才一が、何かのエッセイで、『ノルウェイの森』の冒頭部は、外国映画の場面転換の手法にヒントを得ており、日本文学では今まで例がないといったことを書いていて、それは作者が大学で映画演劇を専攻していたからではないかと分析していたのを覚えているが、そういった興味深い作品への言及はあまり見なかった。

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ノルウェイの森

 『遠い太鼓』という旅行記がある。当時の作者の心境をそのままスケッチするように綴ったものだが、その中で村上春樹は次のように書いている。「すごく不思議なのだけれど、小説が十万部売れているときには、僕はとても多くの人に愛され、好まれ、支持されているように感じていた。でも『ノルウェイの森』を百何十万部も売ったことで、僕は自分がひどく孤独になったように感じた。そして自分がみんなに憎まれ嫌われているように感じた。どうしてだろう。」

 村上春樹は、もともと万人受けするような作風の作家ではない。作者の言う「実体のない数字」になるまで読者が増え続けたことが、この作品にとって不幸であったかもしれない。

 前置きのような話で終わってしまったので、続きはまた今度。

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遠い太鼓