町の変化
今朝もいつもどおりの朝の散歩。平日なので6時10分頃家を出るが薄暗い。町を歩いていると、今まで古い家が建っていたところが壊され空き地になっていたが、新しい建物か何かが造られるのか、工事の準備が進んでいる。私は町の中に雑草が茂る空き地が残っている状態が結構好きで、そういった空間があるとなんとなくほっとするのだが、こればかりは仕方ない。歩いているうちに、次第に明るくなっていく。
談山神社
ここからは昨日の続き。まずは談山神社とはどんな神社かという話から。
中大兄皇子と中臣鎌足がここで極秘の談合をし、それが大化の改新につながる。そして鎌足の死後、その長男の定慧和尚が父の墓をここに移し、十三重塔と講堂を建立したのが始まりだという。もとは妙楽寺という寺院で、現在残る建物は室町時代や江戸時代に再建されたり新たに建てられたりしたものが大部分である。明治になって談山神社と改称され神社となったが、建物は元の寺院建築を残している。
拝殿は、建物の中に入って見ることができたのだが、下のような掲示があってなかなか親切だと思った。こういう場所を訪れた時、撮影禁止の掲示がなくても、撮影が可なのか、また撮影可でもブログなどに上げていいのか分からず、尋ねたりするのだが、これだけはっきりと示してくれるとありがたい。
というわけで、撮った写真を数枚。上の写真は懸造りの拝殿の内部。その奥に本殿がある。左側にあるのが賽銭箱で、入れられた賽銭が手を伸ばせば届くようなところに見えているが、もちろんそんな不心得者はいない。
下の写真は拝殿の外の廻廊。吊灯篭が下げられ、紅葉を背景になかなかいい雰囲気を醸し出していた。
増賀上人
この写真はこの神社にゆかりのある増賀上人の像。この人はなかなか面白い人物であったらしい。面白いというより、奇人変人の類だ。「宇治拾遺物語」の巻十二の七話に「増賀上人三条の宮に参り振舞ひの事」という段があるのだが、その行為だけとってみれば無茶苦茶である。この像を見てもなにか一癖ありそうな顔つきをしている。