寂しい季節
8月もあと2日となった。
唐突だが、いちばん寂しい季節や時間帯はいつかということを考える。もっとも一般的な答えは秋の夕暮れで、虫の声などが草むらから聞こえる情景などが浮かぶが、それはありふれた定番ともいえる寂しさである。まあそれもいいのだが。
室生犀星の有名な詩に「寂しき春」がある。春の明るい光の中に感じる寂しさ。孤独な詩人の繊細な魂を感じさせる。
ところで、私が寂しいと感じる季節は、ちょうど今、夏の終わりである。これは結構多くの人が感じる感覚ではないかと思われる。夏休みが終わり、暑さだけが残っているがセミの声も聞こえなくなり日の落ちるのが早くなってくる。海辺の町では、海岸にも人の姿はまばらになり、海水浴客の残したゴミが砂の間からのぞいている。そんなイメージ。
朝の散歩
今はコロナで夏休みも満喫できないので、子どもたちは休みが終わる寂しさも味わえないのだろうなどと考えながら朝の散歩をする。2学期が始まっても、登校を見合わせたり、分散登校をしたり、メリハリがつかない。私くらいの年齢になると仕方ないが、育ち盛りの子どもたちにとって、コロナで行動を制約された2年間は大きいだろう。
下の写真は朝の散歩中に撮ったもの。上は公園にある大時計。和風でなかなか趣味がいい。下は小学校の入口にあるプランターの花。新学期なのに、ちょっと元気がない気がする。
夕方の散歩
仕事から帰宅するとまだ暑いが、いつもの習慣で外を歩いた。やはり日の暮れるのが早くなっているのが分かる。畑の横の道を歩くと黄色い野草が咲いていた、自然は日ごとに姿を変えていく。